くらし
2019/03/20

たまたま見つけてダイブした ここが “わたしが活きる” 場所

(写真=NATIV提供)
(写真=NATIV提供)
「自分自身を発揮して楽しく生きたい」人間なら誰もが持つ願いを叶える場所を、自らの行動力で見つけた人物を紹介したい。 藤織ジュンさんは2018年9月、地域おこし協力隊の任期を終える11月末に先立って、合同会社プロダクション未知カンパニーを設立した。今後は久慈に残り、PRを軸に自分で自分の仕事をつくっていく。

久慈市はメガヒット朝ドラ「あまちゃん」の舞台となった人口約3万6000人のまち。藤織さんは3年の任期中、観光海女として潜水技術を磨きながら、観光協会の戦力としてまちをより多くの人に知ってもらう活動に尽力してきた。東京出身の藤織さんが、なぜ久慈市に移住し、事業を起こして住み続ける道を選んだのか。思いやプロセスを伺った。

1枚のポスターをきっかけに劇団員から地域起こし協力隊へ転身

藤織さんは地域おこし協力隊として久慈市に赴任するまで、東京を拠点に演劇の世界で舞台に立っていた。地方公演が多く、さまざまな地方をめぐる中で「それぞれの土地で、地に足をつけて頑張っている人がいる。なんかいいな」とそこはかとない憧れを抱いていたという。そんな藤織さんに転機をもたらしたのが、久慈市での公演だった。道の駅でふと見かけた1枚のポスター。そこには、「海女募集」の文字があった。

「3ヶ月海女をしながら観光をPRする仕事の案内でした。その3ヶ月の間に予定されていた芝居がなくなってしまって、スケジュールがすっぽり空いちゃったんです。当時、芝居にも悩んでいたので、どこか知らない土地でやったことのない未知の仕事をして、初めての一人暮らしもしたら、すごい人生経験になる気がして。3ヶ月なら頑張れるかもしれないと思って応募しました。」
 
(写真=NATIV提供)
即採用された藤織さんは、そのポスターを見た2週間後にはまた久慈に戻り、観光協会が用意した住まいでの久慈暮らしが始まった。

ぶっつけ本番で潜りながら仕事をこなし、3ヶ月が終わるころには、藤織さんの心に「久慈に残りたい」という意志が芽生えていた。

「まだちょっと、こっちでやれるんじゃないかなとか、PRの仕事がしたいな、という気持ちがあって。それで、facebookで市長に直接アピールしました。新聞に取り上げられたりfacebookに投稿したことを書類にまとめて渡し、『ごはん行きましょう』って(笑)」

驚異の行動力を発揮した藤織さん。その原動力はなんだったんだろうか?

「3ヶ月の間に、久慈にはたくさんの魅力があるって気づきました。こんなに面白かったり素敵なところなのに、全然知られていなくてすごくもったいないなと思ったんです。もっとPRしたらいいけれど、芸能人を呼んだりするほどではないのかなと考えたときに、私ができることがある、私がここにいる意味があって、必要とされることがあるんじゃないかなと思ったんです。」

>>(次ページ)たくさんチャレンジしてたくさん失敗した3年間
 
1 2
Page 1 of 2
PREV 日本のウユニ塩湖にアートな風景?香川のインスタ映えスポット5選
NEXT なぜ箱根?なぜ男子だけ?日本マラソンの父と箱根駅伝のつながり

詳しく見る