くらし
2019/03/19

なぜ箱根?なぜ男子だけ?日本マラソンの父と箱根駅伝のつながり

(画像=PIXTA)
(画像=PIXTA)
正月の風物詩、箱根駅伝。ふと考えてみると「なぜ東京と箱根間の往復なのか」「なぜ男子のみの参加なのか」「どうして参加校は関東エリアの大学のみなのか」といった、さまざまな疑問が浮かび上がります。

今回は、大河ドラマ「いだてん」の主人公・金栗四三(かなくりしそう)と箱根駅伝誕生の秘話をはじめ、箱根駅伝に関するさまざまな疑問への答えをまとめてご紹介します。

駅伝は日本独自に発展した陸上競技

箱根駅伝や出雲駅伝、全日本大学駅伝、都道府県対抗駅伝など、各区間をチームメンバーがたすきでつなぐ駅伝は、日本発祥のスポーツで約1世紀の歴史を持っています。

駅伝は、日本のマラソンの父と呼ばれている金栗四三を中心として発展しました。1912年、日本人で初めての五輪選手としてストックホルム大会に参加した金栗四三は、途中棄権という手痛い世界の洗礼を受けてしまいます。そこで、世界の舞台で戦える長距離ランナーの育成が急務と考えた末、起伏の激しい長距離ルートをチーム対抗で走り継ぐという駅伝のスタイルを思い付いたのです。

箱根が選ばれたのは幻のアメリカ大陸横断駅伝のため

1917年、金栗らの尽力により日本で初めての駅伝大会が開催されました。京都と東京間の516キロを23区間でたすきをつなぐ「東京奠都(てんと)五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」です。昼夜を問わず3日間開催された大規模なたすきリレーは、大成功を収めたといいます。

日本初の駅伝大会を成功させた金栗は、札幌と東京間を22日間で走破した沢田栄一、パリ五輪の陸上選手だった野口源三郎とともに、世界で通用するランナーを育成するために「アメリカ大陸横断駅伝」を企画しました。そして、ロッキー山脈や砂漠地帯といった、厳しい自然環境が待ち受けている北米大陸を走り抜くことができる選手の選考会として選ばれたルートが、東京・箱根間だったのです。

東海道随一の難所として知られた箱根の峠を上り下りする、過酷なルートで実際に行われたのが、1920年に開催された第1回箱根駅伝でした。結局、アメリカ大陸横断駅伝は幻となってしまったものの、第1回大会以来これまで多くの名ランナーたちが箱根駅伝に出場し、その後世界の舞台で活躍しました。世界で通用するランナーを育成するという金栗らの思いは、今なお受け継がれているといえるでしょう。

>>(次ページ)箱根駅伝は全国大会ではなく関東エリアの競技会
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