くらし
2019/01/17

山口に行ったら巌流島で歴史を体感しよう

(写真=PIXTA)
(写真=PIXTA)
関門海峡に浮かぶ巌流島は、その昔、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した地とされています。行ったことはないけれど、名前だけは知っているという人も多いことでしょう。この島の正式名称は船島といいます。巌流島は下関の彦島江の浦から東に位置し、現在では無人島となっています。

今は風光明媚な観光地となった船島へ行って、かの決闘の歴史に思いをはせてみませんか?ここでは、巌流島と呼ばれる船島にまつわる歴史や観光スポットをご紹介します。

宮本武蔵と佐々木小次郎はなぜ決闘したのか

船島は周囲約1.6キロメートル、面積約10万平方メートルの無人島です。これは明治以降の埋め立てによって面積が広がったもので、決闘当時はもっと小さな島だったそうです。

巌流島の決闘が行われたのは、1612(慶長17)年4月13日のことです。当時、日本全国を回り、武芸の修行のために決闘を繰り返していた宮本武蔵が、小倉藩で剣術の道場を開いていた佐々木小次郎に決闘を申し込みます。その決戦の地として選ばれたのが船島でした。

ここからは、かの有名な逸話へとつながります。決闘の時刻は朝の8時と決めたにもかかわらず、武蔵が船島についたのは午前10時のことでした。決闘を申し込んでおきながら遅れて登場した武蔵に怒った小次郎は、刃渡り三尺ほどの長く大きな刀を抜き、武蔵に振り下ろします。武蔵はこれをかわして木剣で小次郎の頭を打ち、戦いに勝ちます。

この戦いには諸説あり、実際に戦いがあったのかどうかも謎だといわれています。船島と呼ばれていた島が巌流島となったのは、この戦いの後のことです。下関の人々は、敗れた佐々木小次郎に思いをはせ、小次郎の剣の流派である「巌流」を取って、後に巌流島と呼ぶようになったといわれています。

>>(次ページ)その後も決闘の聖地となった巌流島
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