くらし
2018/12/11

大阪「野里住吉神社」の興味深い冬祭り「一夜官女祭」

(写真=PIXTA)
(写真=PIXTA)
大阪には、奇祭と言われる珍しい祭りが存在しています。それが野里住吉神社(のざとすみよしじんじゃ)で今も受け継がれている「一夜官女(いちやかんじょ)祭」です。毎年2月に行われるこの祭りの歴史と由来をたどると、そこには哀しい伝説がありました。大阪府の文化財に指定されているこの祭りにまつわる伝説をご紹介します。

かつての西淀川は災害の多い地域だった

この祭りが行われる地域、かつての野里村は「泣き村」と呼ばれていました。その理由は、災害が多く悲惨な暮らしを余儀なくされていたから、とされています。

野里のある西淀川区は、大阪湾、淀川、神崎川と水に囲まれる地域です。水害ハザードマップを見ると、野里は堤防によって水害対策が施されている現在でも、淀川が氾濫した場合は0.5~3.0メートル、神崎川が氾濫した場合には0.5~1.0メートル浸水する地域とされています。水害への対応策を持たなかった時代、野里村の水害による被害は甚大であったことが想像できます。

さらに、明治時代までは中津川という川も野里を流れていました。1885年に大洪水による甚大な被害が出て、その後1896年に廃川が決定し、今ではまぼろしの川とされています。こうした水に囲まれた地形によって、かつての野里村住民は水害をはじめとする災害に苦難を強いられていました。

「人身御供」が必要?そこにいたのは本当の神だったのか

伝説によると、村人たちが災害や疫病といった厄を取り払いたいと考えていたところに、ある神託がありました。それが「乙女の人身御供」だったのです。以来、旧暦の1月20日に白矢が打ち込まれた家の娘を「一夜官女」と呼び、人身御供として神に捧げるようになりました。

そのような哀しい風習が7年続いたころ、一人の侍が村を訪れ、「人身御供を求めるのは本当に神なのか確かめる」と言い、乙女に替わり自分が唐櫃に入り一夜を明かします。翌朝、村人たちが侍の様子を見に行くと、その姿が見当たりません。ところが残っていた血痕をたどると、その先には神のふりをして乙女をさらっていったであろう、命の絶えたヒヒ(サルに似た妖怪)の姿がありました。

その後、乙女を捧げる風習はなくなり、かつての乙女たちの魂を慰めるための新たな一夜官女祭として今日まで続いてきました。やがてこの奇祭は話題となり、江戸時代には多くの参拝客が住吉神社に押し寄せたと言います。

・岩見重太郎と一夜官女祭
一夜官女祭の伝説に登場する侍は、安土桃山時代に活躍した剣豪、「岩見重太郎」とされています。全国を旅しながら天橋立で父親の仇討ちを行ったという伝説も残されています。その中には、全国でヒヒ退治をしていたという話もあり、そのうちの一つがこの野里での伝説だと言われています。

>>(次ページ)現代の一夜官女祭
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