グルメ
2019/03/20

甲乙つけがたい明方ハムと明宝ハム、岐阜の2大ブランドハム

(画像=PIXTA)
(画像=PIXTA)
雄大な山々に囲まれた岐阜では、古くから畜産業が盛んです。飛騨牛、奥美濃古地鶏(おくみのこじどり)、そして数々のブランド豚が飼育されています。美濃ヘルシーポーク、あんしん豚、はちや豚、ボーノポークなど11種ものブランド豚は、スーパーや飲食店で楽しめるのはもちろん、ハムやソーセージなど贈答品としても人気を博しています。

そんな岐阜のブランド豚を使用した加工品の中でも、岐阜県民に特に愛されているのが、姿かたちも名前もよく似た明方(みょうがた)ハムと明宝(めいほう)ハムです。この2つのハムの間で繰り広げられてきたブランド戦争の歴史を追いました。

岐阜の2大ブランドハム

岐阜では明方ハムと明宝ハムの2つのブランドハムが有名です。まずはそれぞれの歴史をひもといていきましょう。

・明方ハムの歴史
明方ハムが生まれたのは、1953年のことでした。当時の明方村の畜産農家の収入安定を図るため、農協が食肉加工事業を開始。山間地の食生活改善の役割も担うとして、全国からも注目を集めます。しかし、目的の一つであった村民のタンパク源にはならず、高級品としてかえって手が出にくいものとなってしまったといいます。県外からの需要も低く、発売後しばらくは販売不振が続いてしまいます。

しかしその後、高度経済成長とともに需要が伸びていきます。さらには1980年に放映されたテレビ番組で紹介されたことをきっかけとして、全国的に知名度を上げました。明方ハムの歴史には、岐阜の畜産農家と農協が手を取り合い、努力を重ねてきた背景があるのです。

・明宝ハムの歴史
明宝ハムの設立は1988年ですが、実は、明宝ハムは明方ハムから「分裂」して生まれたブランドハムなのです。明宝ハムを立ち上げたのは、当時、旧明方村の村長であった高田三郎氏でした。明方ハムは、メディアでの露出をきっかけとした人気に後押しされ、生産拡大を目指し、農協の主導で1988年に旧八幡町に工場を移転します。

これに異を唱えたのは、明方村でハムを作り続けていた村民たちです。農協の考えや工場移転の構想を理解できないとした村民たちは、その後、高田元村長を中心に村主導のハム作りを行うための第三セクターハム製造販売会社を設立しました。その会社で、明方の宝になってほしいとの願いを込め、明宝ハムを作り始めます。さらに、村おこしを目的に名称を統一するために、村名を明方村から明宝村に変えました。

拠点を移した明方ハムから引き抜いた人員とともに、村の宝である明宝ハムを守り続けたのもまた、村の人々です。明方と明宝、どちらのブランドも、岐阜の農村から生まれ、その味と品質を守りながら、今もなお全国のファンに岐阜のブランドハムを届けています。

>>(次ページ)ハム戦争によって生まれた明宝
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