経済
2019/01/16

なぜ富山の薬売りは全国にその名をとどろかせたのか

(写真=PIXTA)
(写真=PIXTA)
富山の薬売りが全国に名をはせたのは今から400年も前のことです。現在でも薬の町として多くの人の健康を支えている富山の製薬産業は、なぜここまで認知されるに至ったのでしょうか。現代よりも情報網が整備されていない時代において、彼らはどのようなPR戦略をとっていたのか気になるところです。現在の富山の製薬事情も併せて、富山と薬について掘り下げていきます。

富山の「反魂丹」にまつわる逸話

富山の売薬業の起源について記されている「富山反魂丹旧記」をもとに、富山では薬売りが地域にもたらした功績やその由緒に関する逸話が語り継がれています。富山の薬売りは県内だけにとどまらず、全国を行商していたことで有名です。

そのきっかけとなったのが江戸城で起きた腹痛事件といわれています。1690(元禄3)年、参勤交代で江戸城を訪れていた富山の2代目藩主・前田正甫(まさとし)が、同じく江戸城を訪れていた別の藩主に腹痛に効く薬として反魂丹(はんごんたん)を服用させました。するとたちまち回復し、その後富山の薬はよく効くという評判が広まったとされています。

前田正甫は藩の薬売りに全国で行商を行える許可証を発行し、藩の外で商売することを奨励していたといいます。この戦略が功を奏し、富山の薬売りは薬の種類を増やしながら全国に販路を広げていったそうです。

置き薬は富山の薬売りの理念そのもの

今ではすっかり全国でなじんでいる置き薬という販売方法も富山が発祥です。商品が売れたらすぐに代金を受け取るのが通常の商売ですが、富山の薬売りは薬を置くだけですぐに請求せず、後で使った分だけの代金を受け取る商売方法を始めました。

これは「先用後利(せんようこうり)」という独特の商売方法です。お客様第一の精神で始めた先用後利で、富山の薬売りは全国の庶民に愛されることになります。お客様の利益が第一で、自分たちの利益はその後からしっかりついてくるという顧客本位の商売や理念は、今でも学ぶところが多くありそうです。

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