経済
2018/07/05

巨大「いちご団地」も登場!宮城の山元町の6次産業化戦略

(写真=PIXTA)
(写真=PIXTA)
東日本大震災の津波によって、農林水産業に大打撃を受けた宮城の亘理郡山元町。名物だったいちご栽培ハウスのほとんどを失う大被害から、国の復興交付金を活用しつつ復興を目指してきました。しかし、交付金頼みの経営では本当の意味での復興は遂げられません。そこで、山元町は「町全体に6次産業を広める」というアイディアをもとに町の振興に取り組み始めます。長い歴史の中で、1次産業と共に歩んできた山元町の新たな挑戦に迫ります。

大震災と山元町のいちご農家

日本の1次産業が低迷していく中で「1次産業が向かうべき方向は、2次産業と3次産業を総合したものである」という考えから生まれたのが「6次産業」という言葉です。農業でいうと、生産の1次産業、製造の2次産業、サービスの3次産業と合わせた農家カフェや観光農園などがそれにあたります。2010年には国が「6次産業化・地産地消法」を制定。農業の6次産業化はその追い風を受けて進むかと思いきや、農家の動きはそれほど活発になりませんでした。

翌2011年東日本大震災が発生。その津波被害によって山元町の農林水産業は壊滅状態となり、名物であったいちごハウスもほぼ全壊してしまいます。そのような状況にあってもいちごを栽培する農家の人々は希望を失いませんでした。「いちごを産業化して山元町の復興を」と、彼らは再びいちごを栽培する道を選んだのです。

塩害をものともせず成長した山元町のいちご

しかし、震災前と同じ方法でいちごを育てることはできません。津波による塩害で、山元町では震災前のような土壌栽培が不可能になってしまっていたのです。そこで考え出されたのが、「高設ベンチ」によるプランター栽培でした。

この方法で栽培できることがわかると、再びいちごハウスを取り戻すために農家が動き始めます。震災以前よりもスケールの大きなハウスを何棟も建設し、高設ベンチとプランター以外に自動管理システムも投入。2012年には復興交付金を活用し、山元町および隣接する亘理町の被災農家151戸が、栽培総面積40ヘクタールという広大な土地に「いちご団地」を建設しました。

>>(次ページ)いちご農家を支援する山元町の取り組み
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