経済
2017/09/29

現在の静岡市中心街を作った家康公から学ぶ町づくりと経済

(写真=PIXTA)
(写真=PIXTA)
徳川家康というと、生まれ故郷の名古屋や、日本の中心として発展した江戸城のイメージがありますが、静岡市は家康が人生の1/3を過ごした町です。人質となって過ごした幼い頃だけでなく、隠居してからその生涯を終えた場所も静岡市でした。

家康は、現在の静岡市の基礎を築いたと言われています。今回は、家康の町づくりと経済に触れてみましょう。

江戸時代の大都市、駿府

「駿府九十六ヶ町」は、徳川家康がその基礎を築いたと言われています。旧東海道沿いに広がり、現在の静岡市のもととなっています。

家康は晩年の地に、江戸でも名古屋でもなく駿府を選び、町づくりを行いました。なぜ駿府を選んだのかを紐解くと、家康の思想が見えてきます。駿府は江戸と京都のちょうど中間地点でどちらにも目が届き、安倍川という物流に欠かせない河川もあります。そのうえ、海・山の恵みが豊富です。このような理由から、家康は駿府を選んだのではないでしょうか。

治水の名人であった家康は、利根川の改修と同じく、安倍川の治水にも着手しました。安倍川は急流として知られており、この治水はなかなかの一大事業だったようです。陸路としては東海道を活かし、宿場町として華やかに発展しました。

当時の人口は約12万人と言われており、江戸の次の大都市にまで発展しています。海・山の幸にあふれ、東西からの人・物の往来も豊かでした。イギリス国王使節であるジョン・セーリスは、「この駿府の都市は、郊外いっさいを含んだロンドンの大きさほど十分ある」と言っています。

家康は、東海道という陸路、安倍川と海という水路の両方を上手に活かした町づくりで、駿府を発展させました。知識や経験が豊富だった大御所ならではの町づくりと言えます。

>>(次ページ)町名に残る町割りの歴史
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