経済
2019/08/01

昔から親しまれているメンタームを広めた「青い目の近江商人」

(写真=近江兄弟社)
(写真=近江兄弟社)
リップクリームや外皮用薬「メンターム」などの常備薬でおなじみの近江兄弟社は、今から100年以上前の1910年に創業した会社です。この歴史ある会社の創業にはある一人の外国人が関わっていました。それはどんな人物で、なぜ日本で会社を創業したのでしょうか。

今回は近江兄弟社の創業者の一人、ウィリアム・メレル・ヴォーリズにスポットを当てて、彼の人物像と功績をご紹介します。

宣教師として来日したヴォーリズ

ウィリアム・メレル・ヴォーリズは1880年に米国で生まれました。1905年、ヴォーリズは24歳の時にキリスト教伝道を志して、滋賀の近江八幡市にある滋賀県県立商業学校(現在の滋賀県立八幡商業高等学校)の英語教師として赴任しました。

英語教師として働いていたヴォーリズですが、仏教が盛んな近江八幡でキリスト教を広めようとしているのではないかと懸念され、任期が終わった2年後には教師の職を解かれてしまいます。

しかし、教師を辞めても日本との縁は続きました。そのまま近江八幡で生涯を過ごし、伝道資金を作るという目的もありましたが、いくつもの事業に関わることになるのです。

ヴォーリズが興した事業とは?

ヴォーリズが興した事業にはどのようなものがあるのか見ていきましょう。

建築事務所の立ち上げ

米国にいた頃のヴォーリズは、建築家を目指す若者でもありました。教師を辞めた後、一度帰国しますが、1908年に再び来日します。その際、建築家レスター・チェーピンを伴っていました。このチェーピンと、ヴォーリズが教師をしていた商業学校出身の吉田悦蔵とともに1910年、近江八幡にヴォーリズ合名会社という名の建築事務所を立ち上げます。この会社が現在の近江兄弟社の前身企業です。

ヴォーリズの建築事務所が手掛けた建築物には、東京の山の上ホテル、神戸の六甲山荘など現存する建物も多くあります。

なおヴォーリズ合名会社は、1920年に解散した後はヴォーリズ建築事務所に、1961年には一粒社ヴォーリズ建築事務所と社名を変えながら今でも経営されているのです。

近江兄弟社の設立

建築事務所のヴォーリズ合名会社は建築設計以外の事業も手がけました。その一つが、医薬品の輸入販売です。近江兄弟社メンタームとして知られている外皮用薬は、1920年に輸入販売が開始されました。この外皮用薬が広まったのは全国にあるキリスト教会の婦人たちの取り次ぎがあったおかげだそうです。

ヴォーリズ合名会社解散後の薬の販売は近江セールズへと引き継がれ、1934年に社名を近江兄弟社と改称し現在に至っています。この新しい社名はヴォーリズとなじみが深い「近江」と人類は皆「兄弟」というキリスト教精神から名付けられたものです。

社会福祉関連事業

ヴォーリズは社会福祉関連でも活動しました。建築事務所で働いていた従業員が肺結核で亡くなったことをきっかけに設立した肺結核療養所の近江療養院はその一つです。近江療養院はヴォーリズ記念病院と名前を変えて現在も運営されています。

>>(次ページ)近江を愛したヴォーリズの生涯
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